小田原城天守の木造復元に挑み、森林の保全と伝統技術の継承をめざす
取り組み内容
小田原城は北条氏が関東支配の拠点とした時代を経て、江戸時代に改修・整備されましたが、その後の大地震によって倒壊、江戸時代中期に再建された3代目の天守は明治3年に廃城となり解体されました。石垣は関東大震災でほぼ全壊しました。
現在の小田原城天守閣は、1960年(昭和35年)に市制20周年記念事業として鉄筋コンクリート造りで建てられたものです。復興天守と呼ばれ、宝永年間の天守をモデルにした展示物という位置づけです。1960年当時の学術研究を元に再現されたものの、観光利用目的のために4階には廻り縁・高欄を設置することになりました。
その後、東日本大震災の経験もあって耐震補強の必要性が喫緊の課題とされ、2015年度(平成27年度)に耐震補強工事が行われました。
それに先立って、2011年、天守閣の木造化をめざす市民グループ「小田原城木造普請の会」が発足しました。
同会は、観光名所としての経済効果、伝統工法の継承、歴史教育、市民参加、森林保護などを目標に掲げ、「本物の木造天守閣」の具体化へ活動を展開することを宣言しました。2013年にはNPO法人として認定され、天守木造化に向けて調査・研究が始まりました。理事長は鈴木博晶さん(株式会社鈴廣かまぼこ)、副理事長は古川孝昭さん(有限会社魚國商店)と辻村百樹さん(辻村農園・山林)。
小田原城の模型は、大久保模型(大久保神社蔵の模型)、東大模型(旧東京大学蔵の模型)、東博模型(東京国立博物館蔵で神奈川県立歴史博物館展示)の3パターンが現存しています。
1960年の復元設計の際は、当時の学術研究を元に総体的な意匠構造は東大模型、平面規模は大久保神社模型、高さはその両者の中間として進められました。
しかし、天保年間に書かれた相模国の地誌『相中雑志』によると天守3階に摩利支天などの天守八尊が祀られたとあり、この摩利支天を祀った空間が確認できるのは東博模型だけであることがその後の調査で明らかになりました。
耐震補強工事の際に、摩利支天像が祀られていた空間を天守の最上階に再現しました。天守の森(辻村農林)の樹齢200年のスギを使用した木造です。
地元の木材を使って地元の大工さんによってつくられたことは、天守木造化につながる第一歩と言えそうです。
天守の木造復元は、小田原の文化・歴史を再発見すること、地元の木材利用により自然環境保全の循環を定着させること、伝統的な建築技術を継承して残すことにほかなりません。
小田原城跡は国指定の史跡のため文化庁の許可を得ること、小田原市として事業化することなど道のりは遠いですが、目標達成のための調査研究は現在も続いています。
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記事作成者:運営事務局
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